自分の道を見つける

当時21歳、レーサーをあきらめ、2年がたち、23歳で結婚。子供を授かり、普通に暮らすも、先の見える人生に何かモヤモヤしたものを感じています。

尊敬する職業

僕は昔から、体を壊すとすぐに病院へ行っていました。そして、病院で「なんともないね!」と聞くと安心して、またもとの生活に戻るということをしていました。ちょっと生き苦しかったり、ちょっと体のどこかが痛かったりすると、すぐに病院へ行っていました。それは不安感が強かったんだと思います。だから、お医者さんとかには憧れていました。もし自分がお医者さんなら、たくさんの人の不安感とかなくしてあげられるのに・・・て、思っていました。でも、自分には学歴もないし、勉強も大っ嫌いだし、その時点でまず無理でした。

決意

でもそんな白衣のお医者さんにはずっと憧れていたんです。でも、それに代わるものはないかと探し始めたんです。そしたらいろいろと出てきたんですね。柔道整復師(整骨院)按摩(マッサージ師)鍼灸(針治療)整体、カイロプラクティック等様々な代替え療法がありました。その中でもカイロプラクティックを選びました。カイロプラクティックが当時テレビでもちょくちょくやっていてなんとなくかっこいいなと思っていたのもあります。そして自分が好きなものの勉強なら好きになれるはずと思い、決意を固めるんです。

コンプレックスを克服して

僕は高校中退で学歴もなかったんです。だからいつもコンプレックスだったんです。だから、一生懸命勉強して大検の資格を取りました。これは高校卒業と同程度の資格です。結果的にカイロプラクティックを選んだのも、手による手技で人の体(腰痛、肩こり、頭痛、背骨のゆがみ、自律神経の乱れの改善、骨盤矯正等)お医者さんにはできない技術があったからです。すごく魅力を感じたんです。だから、2年間仕事をしながら、夜学でカイロプラクティックの専門学校へ通いました。在学中にはアメリカのサンフランシスコへ行き、神経解剖学過程を学びに渡米もしました。

不安よりもワクワク感が勝った

実際に学校へ行き始めたのは25歳の時でした。子供もいて、途中2人目の子供も生まれ、学校へ行き、仕事もし、はたしてやって行けるのかと心配もしたこともありましたが、そんな不安よりもこの先の自分の将来が楽しみでワクワク感でいつもいっぱいでした。一生に一度きりの人生、思い切り、楽しく、自由に自分の人生を生きたいと思っていたため、何とかワクワクしながら学校を無事卒業することができ開業を目指しました。

開院

お金は全くなかったので、金融公庫から多額の借金をして、自分の院を開院し、やっと自分の夢がかなえ、これからたくさんの人々を救えると意気揚々とするのです・・・。

 

続く→

 

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